旅行先の「見て・遊んで・食べる」観光情報をお届け!

赤穂浪士の墓はどこにある?主君の敵を打った後の行方とは?

 
この記事を書いている人 - WRITER -
スポンサーリンク

歌舞伎の「忠臣蔵」で広く知られている

赤穂浪士(あこうろうし)」

主君に対するあつい忠義をもつ
47人の武士たちが起こした事件のお話です。

47名の「赤穂浪士」たちは
主君の敵である「吉良上野介」を打った後
処罰として「切腹」を言い渡されます。

その後46名の「赤穂浪士」は切腹して
この「赤穂事件」は終結するのですが・・

今回は処罰を受けた後「赤穂浪士」たちが
どこのへ埋葬されたのか?という内容と、

47名いた「赤穂浪士」が1人たりない?

という内容をご紹介していきます!

赤穂浪士の墓

切腹の処罰を受けた「赤穂浪士」46名は
その後、東京の泉岳寺(せんがくじ)に
埋葬されています。

現在では「忠臣蔵」の聖地としても
人気の場所になっていますね!

「忠臣蔵」は歌舞伎だけでなく
小説・ドラマ・映画などでも人気なので、

こういったメディアで「赤穂浪士」を
目にした方々が、赤穂浪士の墓を見に
全国各地から集まるわけです。

赤穂浪士の墓がある泉岳寺

泉岳寺は1612年に徳川家康が創建させた
400年以上も続くお寺なのです。

もちろんこのお寺は赤穂浪士の墓がある
お寺として有名なので、

討ち入りの日である12月14には
「赤穂義士祭」が催され、

毎年多くの人で賑わっていますよ!

「赤穂浪士」が好きな方は、12月14日に
「赤穂義士祭」を見に行ってみるのも
おすすめです。(゜o゜)

ちなみに泉岳寺には「吉良上野介」の
討ち入りに参加した

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を含む
46名の「赤穂義士」たちが眠っている・・

ということで、

境内に赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している
「赤穂義士記念館」がありますよ!

「赤穂義士記念館」には江戸時代終わりから
明治二年までに制作された、

「赤穂浪士」47名の木像が収められている
「義士木像館」もあるので、

合わせて見るのがおすすめです。

赤穂浪士の消えた1人

「赤穂浪士」は47名なのに切腹したのは
46名ということで、1人足りませんよね!

この1人は「寺坂吉右衛門」という
人物だったと言われています。

諸説ありますが、一説では
見事に目的を達成した「赤穂事件」の
指導者である大石内蔵助より、

「赤穂義士」の遺族や関係者に討ち入りの
事情や真実を伝えて廻り、

その後は遺族の相談役になるように
命じられていたそうです。

しかし、討ち入りを報告して廻った後
「寺坂吉右衛門」は江戸に戻って自首し
46名の後に続こうとします。

が・・「寺坂吉右衛門」は切腹にはならず
釈放されたため、

その後は仏門に入り仏の道を歩み
83歳で天寿を全うしたとされています。

ちなみに「赤穂義士の墓」については
江戸の泉岳寺が創建されるより前に、

「寺坂吉右衛門」が浅野家の祈願寺である
吉祥寺(きっしょうじ)の住職に依頼して
創建されていたという話もあるようですよ!

赤穂義士のもう一つの墓

江戸の泉岳寺よりも先に赤穂義士の墓が
作られていたということで、

大阪の吉祥寺(きっしょうじ)にも
もう一つの墓があるのです。

討ち入りが行われた当時の住職は
赤穂の出身者で、

浅野長矩とも親交があったそうですね!

火事による全焼で一度再建されていますが
再度、空襲による被害を受けてしまい、

現在では赤穂義士の墓と石像と
小さな本堂のみが残っています。

こちらでも討ち入りの12月14日頃に
「大阪義士祭」が行われていますよ!

入場料は無料で毎年12月の第2日曜日に
行われているのですが、

討ち入り「そば」が提供されたり

四十七義士に扮した子供たちが
時代行列を行ったりしていますよ!

スポンサーリンク

赤穂浪士の墓まとめ

赤穂浪士の墓は東京と大阪の2ヵ所で
祀られているわけですが、

大阪では本当に墓と石像しかないので

色々な資料や遺品を見るのであれば
東京にある泉岳寺の墓を参るのが良いですが、

もちろん「赤穂浪士」ファンであれば
両方必見ですよ!

スポンサーリンク
この記事を書いている人 - WRITER -

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です